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大阪地方裁判所 昭和23年(行)22号 判決 1949年12月21日

原告

松本茂三郞

被告

瓜破村農地委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

請求の趣旨

被告が昭和二十二年七月二十三日別紙目録記載の土地(以下本件土地と謂う)につき決定した買收計画は之を取消す。訴訟費用は被告の負担とす。

事実

原告訴訟代理人は、その請求原因として、

被告は自作農創設特別措置法(以下自作法と謂う)。に基き昭和二十二年七月二十三日本件土地につき買收計画を決定し、同年八月七日右決定書を原告に送逹したので、原告は同月十二日異議の申立をしたが、同月十六日右申立は却下せられ、同月二十五日右送逹を受けた、そこで原告は大阪府農地委員会に訴願したところ同年九月十九日之も棄却せられ、この裁決書は同年十二月三十日送逹せられたので、昭和二十三年一月二十六日本訴を提起した。

而して本件土地に対する右買收計画の決定は左記理由により違法であるから取消さるべきである。即ち(一)原告は瓜破村に在村する地主であり、被告村に於て本件土地を所有する外他に土地を所有しない。原告は元大阪市東区北浜五丁目に居住し弁護士事務所を経営していたのであるが、戦災し諸所流浪の昭和二十年十一月一日瓜破村に住所を得、同所に於て生活物資の配給を受けていたし、又昭和二十二年四月衆議院議員等の選挙には同村長より居住を認められて有権者として投票した、従つて被告が原告を不在地主と認めたのは不当である。(二)本件土地は農地ではない、すなわち大阪市が都市計画事業として同市外の南北に二大公園墓地を計画したが、本件土地はその南墓地の計画地域内に在つて、同墓地表門正面道路の敷地に買收せられた残地である。現に右表門正面に立派なコンクリート道路が出来上つており、附近に店舖も出来たし、本件土地は右道路を通路として使用しており、更に右道路の完成費用としてその三分の一なる金千三百六十三円(本件土地買收対価は金千四百円である)を都市計画受益税として支払つた、これら諸般の状況より考へても本件土地は農地とは謂へないと述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、本訴は却下するとの判決を求め、その理由として、原告は最初大阪府農地委員会を被告とし、原告が昭和二十二年八月二十八日同委員会に対し為した訴願を棄却した裁決の無効を求めたに拘らず、其後被告を瓜破村農地委員会に変更し、同時に請求の趣旨も同村農地委員会が昭和二十二年七月二十三日決定した本件土地の買收計画の取消を求める旨に変更したので、被告は右変更に異議を主張する、即ち原告は最初の訴では被告とすべき行政庁を誤つているものではなく、むしろ右変更は全然異つた被告及び請求の趣旨にしたのであつて、之は変更ではなく新たな訴と謂うべきである従つて行政事件訴訟特例法第七條第一項に該当しないから、被告瓜破村農地委員会に対する関係に於ては、原告は右変更のときに新らしい訴を提起したことになる。すると昭和二十二年十二月二十七日施行の自作法附則第七條の規定により既に出訴期間経過後の訴に該当するから、本訴は不適法として却下せらるべきであると述べ本案につき、主文同旨の判決を求め、答弁として原告主張の日に夫々、被告が本件土地につき自作法に基いて買收計画を決定したこと、原告が之に対し異議の申立をしたが却下されたこと原告は更に大阪府農地委員会に訴願したが棄却の裁決があつたことは認めるが、原告が所謂在村地主であること及び本件土地か農地でないとの原告主張事実はいづれも否認する。原告は昭和二十年十一月三十日大阪府中河内郡繩手町大字河内から瓜破村東瓜破一、五二二番地矢倉宇三郞方に町籍簿を移し配給丈けは受けていたが、実際は住所と定めて居住したことはなかつた。其当時原告は大阪市東住吉区山坂町三丁目一〇一番地に家族と共に生活して同所を生活の本拠と定めていた、従つて原告は所謂不在地主に該当するし、又本件土地は立派な水田であるから、被告委員会は自作法の規定に従つて本件土地につき買收計画を定めたので何等の違法はないと述べた。(立証省略)

理由

先づ原告が被告及び請求の趣旨を変更した点につき按ずるに、原告が本訴を提起して所期したところは、要するに、瓜破村農地委員会が本件土地につき爲した自作法による買收計画を違法とし之が救済を求めんとするにあつたことは原告の主張自体に徴し明らかである。そうすると原告は端的に同村農地委員会を被告とし右計画の取消を求めることができたのに、裁決廳たる大阪府農地委員会を被告とし、之がためその請求も勢ひ裁決の無効としたことが認められる斯かる場合は行政事件訴訟特例法第七條に所謂被告とすべき行政廳を誤つたときに該当するものと解し得られるから、原告が被告を同府農地委員会から同村農地委員会に変へたことは許されねばならない。而して右被告の変更に伴い之に対應するように請求の趣旨を変更することは、原告として当然採るべき措置であり且この変更は請求の基礎に何ら変更なく又之により訴訟手続を遅滯せしめるものとも認められないから之亦許さるべきであると謂はねばならない。從つて右変更を以て新訴の提起と見る前提に立つて本訴を法定期間経過後の出訴であるとの被告の主張は採用しない。

而して原告が本件土地の買收計画に対し適法な訴願を爲し之に対する大阪府農地委員会の裁決書が昭和二十二年十二月三十日原告に送逹せられたことは被告の明かに爭はないところでありそれより一ケ月以内である昭二十三年一月二十六日に本訴が提起せられたことは本件記録に徴し明らかである。

そこで進んで本案につき判断するに(一)原告は昭和二十二年七月二十三日本件土地につき被告が買收計画を決定した当時瓜破村に居住していた所謂在村地主であると主張し、成立に爭のない甲第一号証の一乃至三に依ると原告は昭和二十年十一月一日より昭和二十三年六月二十九日まで同村に於て米穀の配給を受けたことと昭和二十二年四月施行された知事、村長、國会議員の選挙には同村の選挙人として右投票をしたことが認められるが然し之のみを以ては未だ原告が同村に居住していたことを認めるに足らないのみならず、却つて成立に爭のない乙第一号証に証人桑田良平の証言を綜合すると、原告は昭和二十年十一月三十日繩手村から瓜破村の知人矢倉宇三郞方に轉入の手続をしたが、右は單に形式上籍を入れた丈けで眞実住所を移したわけでなく原告の配給物資は他人が受けていたのであつて、被告が本件土地の買收計画を決定した昭和二十二年七月二十三日当時元より同村に居住していなかつたことが認められる。

右認定を覆すに足る証拠はない。從つて原告の主張は之を採用しない。(二)次に原告は本件土地が農地でないと主張するが前記証人の証言に依ると本件土地は曩に大阪市がこの近くに設けた墓地に通ずる道路敷としてその一部を買收した残地であつて、右道路に面してはいるが、二毛作地で本格的な農地であることが窺はれる。右認定を覆すに足る証拠はない。從つて原告の右主張は之を容れることができない。

仍て原告の本訴請求は理由がないから之を棄却すべきものとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文の通り判決する。

(乾 畑 岡部)

(目録省略)

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